のほほん族

つい先日、10月2日は私達夫婦が結婚式を挙げた日でした。あれから3年。早かったけれど、まだ3年なんだという感じです。

うちの夫婦のカタチは

早かったけど、まだ3年かー、と思うのは夫婦関係が順調だからだと思います。

上手くいった事・失敗した事、笑った事・泣いた事や満足した事・悔しかった事。ごく普通のありふれた毎日だと思うけれど、私は全力で毎日暮らしてきました。

休んだり、怠けたり、ダラダラしたりしてます。それなりに、いや、、、かなり(笑。それでも、やっぱり毎日一生懸命だったなー、と思うのは、自分が休む事が大好きでダラダラするのも大好きだってわかってきて、自分のそんな情けなく思われそうな部分にも「ま、いっかー」と愛情を持って受け止められるようになったからだと思います。

先日のブログで書いた「おいしい関係」に「なんだかゆるゆる。いい感じ♪」という言葉が出てきたんですが、まさにこれ!「ゆるい」っていう言葉が今の自分にぴったり。

「そっかー」でホッとする

いま、うちの夫婦はなにもないんですが、好調です。たまに私がイラっと来て「コルァッ」(コラ!の怖いバージョン)と仁王立ちするときもありますが(笑、何もないことを好調と思える雰囲気があります。

夫がどう考えているかは謎ですが、私から見た好調の理由は「そっかー」です。夫の話に対して私が「そっかー」。私の話に夫が「そっかー」。とりあえず頷いてるのがいいみたい。「だけどさー」と言われたときには「まあ待ってよ。まずは『そっかー』って言ってよ」とお願いするときもあります。とにかく「そっかー」という言葉には一人じゃない感があるからホッとできるんですよね。

夫婦が不調になるときや不調になったときって、将棋の対局のようにお互いに相手の隙を突き合っていることが多くないですか。「私はこんなにがんばってるよ!」「それならオレだって!!」「なにをー!!!」みたいな感じです。夫婦間で、”一番頑張っている人”の座を奪い合うってところ。

最近の私と夫はその奪い合いに疲れたみたいで「頑張りたくないなー。任せたで。」みたいな会話が多いです。言われた方は「え?あんたもそうなん?『そっかー』ほな、二人とも頑張らんとくかー。」といいながら、お互いの領域でお互いがやるべきことをやってる感じ。

待つことで信頼を伝える

馬場俊英さんの「ただ君を待つ」という曲に「抱えた荷物を投げ出すような君じゃないから(僕は君が復活するのを待ってるよ)」という歌詞が出てきます。この歌詞を聴いたときピーンときたのは「パートナーを信頼するってそういうことか」って事でした。

馬場俊英「ただ君を待つ」のジャケット

曲の流れは、妻が急に休みをとって旅に出ちゃうから夫がお留守番するというもの。

「おいおい、家事をほったらかしにして仕事もほったらかしにしてどうするつもりだよ!なに考えてんだよ!」って思うのがそれまでの私の常識でした。

だけど私は「ただ君を待つ」が好きでそれはもう何度も手動でリピートかけて聞いてました。そしていつもボワーンって(涙で)視界がかすんでしまう歌詞、それが「抱えた荷物を投げ出すような君じゃないから」でした。それで気付いたんですよ。「ああ、これが信頼ってことか」「私はこんな風に夫から信頼されたいんだ」って。

その事に気付いたら、私の夫や家族や友達はみんな「抱えた荷物を投げ出すような人じゃない」っていうことにも気付いて、とりあえず待つようになりました。なんだかんだ言って、私は今まで家族や友達にたくさん待ってもらってきたし、これからは私から待とうと思うようになりました。もしかしたら、私の役割って待つ事かもしれない、と。

幸せにしたいから幸せでいよう

とか何とか言ってますが、腹が立ったりイライラしたり八つ当たりしたりしながらの夫婦生活です。だけど記憶を振り返って思い出す夫婦生活は良くも悪くも愛しい過去の夫と私の姿。

夫に出会って二人で暮らしてきたから存在する今の自分。ありがとう、と感謝でいっぱい。あ、もちろん夫を支える自分にも感謝をわすれませんよ(笑。

最近の私の密かな楽しみは「夫を幸せしてやろう」というたくらみです。幸せにしてもらう、というのはどうも性に合わないことがわかってきたので、私が彼を幸せにしましょうp(^-^)q そんなわけでまずは自分を大事にしようと思います。自分が幸せじゃないと誰かを幸せにはできないですもんね。今日もがんばるぞっ!

そんなわけで、マイペースな夫+ヘタレなくせにマッチョな妻というのがうちの夫婦のカタチです。

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