鏡の法則

中古本屋さんで「鏡の法則」というベストセラーを見つけたので読みました。数十分で読める薄い本でしたが、「人を許す心が自分を自由にする」というワンテーマのみを取り上げたシンプルな内容が好印象でした。


帯に書いてある「読んだ人の9割が涙した!」の9割には入れず、残念ながら私はひねくれも者の1割に該当しました(;^_^A 「こんな理想的な展開が全ての人に起こればなぁ」って目をそらしてしまった。ですが、著者の伝えたいメッセージは受け止められたた気がしました。

そこで書こうと思ったお話。それはいつからなのか、心の中の口癖になっている言葉「情けは人のためならず」のことです。

【情けは人のためならず】
他人に親切にしておけば必ず自分にもよい報いがある
(岩波書店「岩波 国語辞典(第五版)」)

「自分にも良い報いがある」なんて聞くと、お祝い返しのような、直ぐに形あるもので返ってくるという現金なイメージをもってしまうんですが、ここで書きたい”自分に返ってくる”ものはちょっとちがう。なんとな縲怩ュ、人への親切って回りまわって自分に返ってきてるんじゃないかな縲怩ニ感じる程度のことです。

「情けは人のためならず」を私の口癖にしたのは、夫婦喧嘩の時の旦那さんの嫌味です。

うちの旦那さんは、もともと嫌味など言わないピュアな人。なのに、夫婦喧嘩の時に私に嫌味を言いいました。私はショックを受けましたが、よくよく考えてみると、旦那さんが私に言った嫌味が、少し前に私が旦那さんに言った嫌味でした。彼は、昔私が彼に投げつけた嫌味を私に投げ返してきたんです。その時、「情けは人のためならずというけれど、情けだけじゃなく悪いことも、自分に返ってくるんだなぁ」と感じました。それがきっかけ。

腹が立ったとき、誰かに八つ当たりをすれば、その夜にお布団の中で「なんであんなことを言ったんだろう。気を悪くしただろうな。謝らなきゃ。許してくれるかな?」などなど、新たな悩みを抱えることになるんですよね。八つ当たりですっきりするはずだったのに、相手に投げつけた言葉が自分の心に突き刺さってる。

誰かのミスを「どうやったらこんなミスができるんだ!お前の目は節穴か!」と頭ごなしにしかりつければ、次に自分がミスしたときに、同じ言葉が自分の頭の中で響きます。「もっと別の言い方があったなぁ」と思い直すことができれば良いのですが、逆に「こんなミスをするなんて、自分はダメだ」と思ってしまったら。。。過去に自分が他人を追い詰めようとした言葉が、今は自分を追い詰めている。

親切も意地悪も、自分の口から出た言葉や自分の行いは、他人に対するものでありながら、同時に自分に対するものでもある。人を許せなければ、自分も許せない(自分だけを許したいことは多々あるけれど(;^_^A)。

誰かに許してもらうために他人を許すのではなく自分で自分を許せるようになるために他人を許す

それが、私なりの「情けは人のためならず」であり、「鏡の法則」の言いたいことなのかな縲怩ニ思うんですが、これって、自分に甘すぎ?「コラっ」って声が聞こえてくるのかしら??