地面に咲く桜

週末は引越しする友達の見送りに始まって、

お花見と昔のブログ記事の更新と家事とお昼寝と。

あっという間でした。

ここ3年の桜の写真を見ると、曇天が多い。
お天気がいまひとつなんですねー。

新しい制服に照れて頬をピンクに染める新入生のように
待ちに待った春を喜ぶ桜のピンクの花びらを
快晴の青空をキャンバスに撮影したいのに残念。

実は最近、このブログの昔の記事を更新しています。
記事の概要(TBなどで表示される)を書き足すのが目的なので、
本文はだいたいそのまま。

ちょうど2年前、2006年の3月の記事から始めて、
昨晩ようやく2006年6月まで更新し終えました。

2年前のブログの記事を見ていたら、
知らないうちに、昔の記事はダメだ、もっと良くしなければ
と思い込んでいることに気づきました。

昔の記事は文章の技術とか構成ではなく、
なんかスッと共感するものがあって
そのときの自分なりのものが出せてると感じました。
大事なことですよね。

ブログを書こうとする気持ちが単純なのがいいんだな。
広告を見つけたから載せちゃえ的な記事も、
これ買ったよ~!!って、なにそれ的な記事も、
ブログに書く初めてのネタとしてワクワク楽しんでるだけ
っていうのがわかる。

今の自分もブログを楽しんでます。
だけど左脳的なこだわりが強すぎて、
肝心な私の感性が窒息しかけ?右脳ががんじがらめ!
っていう感覚がぬぐえません。

思い込みって怖いですね。
たった2年なのに思い込みで自分を縛ってる。
縛れば縛るほど表現はしぼんじゃうのに、
ダメだ、もっともっと、ってきゅうくつな表現になっていく。

もっとあっけらかんとしたのでいいんちゃうん?

散った桜にカメラのレンズを向ける自分、
“地面に咲く桜”ってタイトルがひらめいた自分。

世間に対してすこしピンボケな目が
私の感性のレンズだとしたら、
私というカメラを通して撮影した世界もまたありちゃう?
いや、それこそが私の表現ちゃうん?

そんなわけで、
週末は自分の事をぼんやりと考えていました。